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■映画「トロイ」考察■

■その二■

前述ではこの木馬の計と今までの戦闘の質の違いを語りましたが、このミッションに対するアキレスの受け止め方も、以前とは大きく違うように感じます。これはアキレス向きの戦いではないとは先に述べました。アキレスはこの戦いにおいて王との確執が原因で進軍しなかった、つまり彼には彼の戦いの意義があって、参加する戦いをえり好みしていた。

そしてパトロクロスとのやり取りの中でその戦闘に何の疑問を持たず参加する兵士たちを、 「くだらない」とばかりに言い捨てる場面があります。(「バカな王の命令で死ぬな」のところです。ホントにくだらないと思ってるんだろうなあ)つまり彼は自分の流儀に合わないような戦いはくだらないと思っていたし、批判的ですらあった。

ですがこの戦闘は明らかに受け止め方が違ってきているように思う。
エウドロスとの浜辺での語らいのシーンでは、かれらはこの戦闘の準備をするギリシャ軍を目にしながら語り合っています。このシーンも以前と違うアキレスだと思って驚いた。これはもうアキレスの好むような戦闘ではないのに、彼はその戦闘を前にして実に平静で、むしろ穏やかでさえあることに。(今までなかったぞそんなこと!)

木馬を作っているのを目にしているということはこの作戦の内容は知っている。冒頭のボアグリアスとの一騎打ちの前でさえにあんなに苛立っていたのに(あれはアキレス向きの戦いだとは思いますが、同時にアガメムノンの侵略のための戦いでもある。理由付けがそれなので彼はやっぱりくだらないと考えている)あからさまな侵略のための準備を目にして、彼は苛立ちや軽蔑の感情を見せない。
ましてや彼はブリセイスをトロイに帰している。あそこでブリセイスを帰したのは、そうするのが彼女には一番いいと思ってのことでしょうが、それ以外にも、トロイの城壁はギリシア軍にはおそらく破ることは出来ず、城内にいれば安全だからという確信があったから。

もしトロイが滅びる運命にあると知っていたら何が何でも帰さなかったと思う。そうであればこそ、今までのアキレスであれば激情に駆られアガメムノンにねじ込むなり、オデッセウスに非難の言葉を浴びせるなりしたはずです。(ものすごくののしりそうだ・・・)

しかし彼はこの戦闘を前にして驚くほど冷静です。このような戦闘に参加する自体驚きですが、彼の中に葛藤を見出すことは出来ません。
「俺の戦いだ」と言う箇所で、むしろ何か覚悟を秘めた印象がある。しかも今はもう以前とは違う、彼だけの、ギリシア軍とは全く違った(むしろ全く正反対の)理由で参加するのに。戦闘を前にしての態度が全然違う。

彼は自分のとは違う意義のために戦いはしなくとも、違う意義のために戦う兵士たちに理解は示せるようになったと思う。
アガメムノンはトロイの城壁を打ち破るために「4万の兵を費やしてでも」と言い放ちます。まったくもって愚かな行為としか言いようがありません。でもアガメムノンとしても引くわけには行かない。ここでトロイ進軍に失敗したとあってはせっかく築いたギリシアの同盟を崩しかねない。ここでは一人の男の対面を保つためと言うことももちろん大きいでしょう。

でも同盟を結ぶことによってギリシアは、国内同士の戦闘を終わらせ、安定を保てた。同盟が破られれば今度はまた国内での戦争が再開されるだけです。更にはネストルが言及したように、外部からの侵略も予想される。どんなにアガメムノンがくだらない男でも、彼がギリシアを統一した以上、彼に逆らうことはできない。絶大な権力を持っていることも理由ですが、彼を中心に築いた同盟を崩すことも避けなけくてはならない。

4万のギリシア兵を、ギリシア全体の平和を守るためにもこの戦闘を行う必要がある。オデッセウスにしたって、アガメムノンは嫌いだろうし、この作戦でトロイが滅亡することはわかっている。一人の男の欲望のために一つの国が滅びると言うことは承知のはず。でもあえてやり遂げようとする。彼は王であり、戦士とも兵士のそれとは違う、王の責任があるから。

オデッセウスは王の責任は「自分の民を守るため」にあると思っているはずです。戦士としての流儀も、一人の人間としての感情にも基づかない選択肢を彼は選んでいる。どんなにくだらないし、空しい戦いだととわかっていても。

アキレスはギリシア軍を離れる決意をし、国へ帰ることをオデッセウスに話すシーンで「何でお前がアガメムノンのようなくだらない男に仕えるのかわからない」と言います。それに対してオデッセウスは「時にはそれが必要だから。君にもいつかわかる」と答えます。
私はアキレスがこの戦いに対して何も言わないのは、オデッセウスのこの言葉がわかったからだと思う。オデッセウスがアガメムノンのような男に仕えなければならない理由が。そしてこの戦闘の意味が共感は出来ないまでも、同胞を守るためという大きな意味があることをちゃんとわかっているからだ。

つまりは皆それぞれの理由と正義を信じて戦っているのだと(王も兵士も敵国も)、ここへ来て理解することができ、それに対して敬意を払うことが出来るという変化を遂げたと。それゆえの平静だと思うのです。

 
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