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映画「トロイ」のキャラクター考察

■パトロクロス■(ギャレット・ヘドランド)

パトロクロス この子を好きです。この作品で心底嫌いな人は誰もいないけれど。そこがこの作品の要でもあります。

ここでは、彼の性格というよりも「パトロクロスの死」に対して言及します。

■パトロクロスの側
ヘクトル側から見ていると彼の若者を殺してしまったことに対する後悔具合にばかり目がいってしまうのですが。あるショットに気が付いてからは、彼が死ぬことに胸が痛みます。

それは。
偽アキレスが、ギリシア軍に士気を鼓舞するから。

本物のアキレスは個人主義ですから決してそんなことしない。ヘクトルはもちろん、そのカットの直後にトロイ軍に士気を鼓舞します。

私はここにパトロクロスとヘクトルに同じ精神を感じるのです。愛国心や同胞愛を。彼が彼なりに一生懸命考えた結果の行動が偽アキレスを演じることだったのだと。

アキレスがオデッセウスと分かれた後にアキレスとパトロクロスが口論します。
「同胞を見捨てるの?」
「戦争がしたければ他にもある」
「ギリシア人が死ぬのを放ってはおけない」
「どうせどちらかは負ける」
で、結局は物別れになるんだけれど。

この子はちゃんと分かっていたんだな。
残って欲しいとアキレスに願ったのは単にアキレスが強いからという理由ではなく、オデッセウスがアガメムノンに言うようにアキレスの存在そのものがギリシア軍の士気を上げるということを。

だから自分は勿論アキレスのように強くは無いけれど、「アキレスが出陣する」という虚構の事実をつくりあげた。

私は彼は彼なりに立派だなと思う。
「盾を置いて船を守れ」と言われ、「これは戦争だ(から年が若いなんて関係ない)」と言って怒ります。18歳の割にはちゃんと物事を見ているというか、アキレスに指導をもらった割には彼は愛国心がある。若くして両親を(おそらく戦争で)失ったからでしょうか。だから、同胞を見捨てて置けないって言うんだな、って。

自分の出来る最善を尽くそうと考える精神を私は尊いと思う。
パトロクロスが無断でアキレスの鎧をまとって戦ったと言う行為は、無理をして自分の実力の範囲を超えてしまった行為です。たとえそれば同胞を救うという大儀名分であったとしても。

アキレスとヘクトルが戦ったときにも、ヘクトルのほうが「善い人だから」とか「高貴だから」ということは戦闘にはまったく関係がなく(かなり肉迫するけれど)単純にアキレスの方が強かったからヘクトルは死にます。
実際の戦争では、精神が高潔だからといって神様は助けてくれない。こと昔の戦法では実力だけが物を言う。

パトロクロスもヘクトルも、自分の同胞を守りたいという同じ思いで戦いますが、そうすると圧倒的な実力でパトロクロスは負ける。
この子はこんなに志が高いのに、同胞の為に一生懸命なのに死ぬのか…と思うと哀しくなる。

そしてあの死に様が嫌で嫌で仕方が無い。こんなに高い志で、おそらく死を覚悟しての行動だったはずなのに、「ここで死ねて良かった」なんて思いを一片も感じない死に様に打ちのめされるのです。

■ヘクトルの側
しかし、どんなに考えても「パトロクロスの死」はパトロクロス自身の責任です。彼の高い志は尊いと思うけれど、己の決めた判断に伴う責任が彼自身の命で支払われたということで、それ以外の誰も責めることは出来ません。(敢えて言うならオデッセウスを私は責める。毎回「ああ、オデッセウスの馬鹿。小僧にそんなこと言ったら有頂天になって行くって言うに決まっているのに」と思う)

だから、パトロクロスが死が哀しくても、殺したヘクトルを糾弾する気持ちはまったく起きません。彼の瀕死の若者を見る動揺は本当に痛々しい。彼からしてみれは本当に思いもしなかった結果です。

ヘクトルは今まで「そうならないように」戦ってきて、それが彼のモチベーションです。
常に戦争には消極的で、こちらから攻めると言う意見に断固として反対していました。今まで侵略戦争を指揮したことはないでしょう。たとえ敵側であっても女性や子供、老いたる者を虐殺するような戦争ではなく、純粋に国防の為の最小限の戦いだけをしてきたはずです。

他に上手い言い方が思い浮かばないのですが、私はこの戦争はある意味「兵士が安心して戦えるフィールド」だと思います。 市街戦ではないからです。トロイの民はギリシア軍が上陸するまえに堅牢な城壁の中に避難し、落城しない限りは安全が保障されている。(…ということまで意図してあのカットなんだろうか…)海を渡って来たギリシア側も全てが戦闘要員で守らなければいけない弱者はいない。

夜明け前に奇襲をかけ見守るヘクトルの表情は実に暗く、この作戦に本当に気乗りがしていないことが伺えます。それでも己の感情を押し殺し、自身の意思には沿わなくても最終決定権の王の指示に従う。
これは戦う能力と意思が有る者同志のやりとり。それだけが、この奇襲の正当性を支える彼の思想だと思います。

そうすることが自国を守ることであり、帰らぬ夫を待つ妻を一人でも増やさぬように、戦地に立ったからには最小限の犠牲で戦いに勝たなくてはならない。だからこそ彼は誰よりも最前線を目指し、最強の『アキレス』と対峙します。

ところがその結果がパトロクロスというまだ若い少年を殺す行為になってしまう。
動揺はいかばかりでしょうか。

彼は「罪無き戦争被害者」の象徴だと思う。トロイ軍にとっても。ギリシア軍にとっても。

あの時点で、ヘクトルの意義は大きく揺らいだと思うし、同様にギシリア軍側も恐ろしくモチベーションが下がったと思う。皆、自分の愛する弱きものを守る為にこの戦いに来ていたのだから。そして少なくとも弱きものが被害にあうことなど思いもよらないのだから。

 
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