映画「トロイ」考察>キャラクター>アンドロマケ

■映画「トロイ」考察■>キャラクター>アンドロマケ

映画「トロイ」のキャラクター考察

■アンドロマケ■(サフロン・バロウズ)

アンドロマケ ヘクトルの奥様。だんな様がパーフェクトなら、やっぱり奥様もパーフェクト。素晴らしき良妻。(どうでもいいがこの人背が高い。ヘクトル(バナ=193センチ)と並んで遜色ないって…何センチだこの人)
この映画において、最初から夫婦ですし具体的に戦争に絡むことはないので流石に影が薄い彼女ですが、回数見ているとヘクトルと彼女の絆の深さを感じるようになりました。というか二人の会話聞いているといちいち泣けてくる。ヘクトルがアンドロマケと息子の前でだけは、指揮官でも軍人でもなく、純粋に一人の女性・一人の息子を愛する夫でしかないから。

ヘクトルは彼女の前でだけは弱音を吐く。
「テクトンを神殿の前で殺したギリシア人 すごい槍を投げた。人の技とは思えぬ」なんて。軍人しかも最高指揮官が、決定権のない女性の前で「この戦は負けるかもしれない」と言ってしまう。公の前では気丈に振舞うけれど、誰にも言わないけれど、アンドロマケには言えるのね…。
「お前は将軍になれるな」というセリフも、お前みたいな奴が決定者の中に一人でもいたら戦争をしなくても済んだかもしれないな、と言う感じに取れたし。

彼女だけは「行かないで」と言う。それはもう心の底から。
王子でも最高指揮官でもなく本当に一人の男性としてヘクトルを愛しているから。そしてこんな戦争下らないと思っているから。
ヘクトルも「私だって行きたくない」と本音を言える。

この映画の意外な点の一つが、権力者が国の威信を賭けて名誉や誇りの為に戦争を起こすのではなく、権力のない一兵士が戦争いやだと言いながら虚しく果てる物語ではなく。どちらでもなく、どちらでもある物語だと言うこと。

パリスとヘレンの「愛の為の戦い」事件に、スパルタだけでなくギリシアまで「侮辱された」と乗っかってくる。ヘクトルと軍隊に守られている身だけれどアンドロマケはこんな戦争下らないと思っている。彼女にとって夫は最高指揮官ではなく、起こってしまった戦争に巻き込まれた一兵卒と同じ。ヘクトルが起こした戦争・決めた戦争でもないから。

秘密の抜け道を教える時、吹替えでは「他の人を連れてくるのもいいが、とにかく君と息子だけは助かってほしい」とヘクトルはいいます。博愛主義の彼からすればここは不思議に思うほどです。身内縁者だけ助かればいいという考えは非常に利己主義といえます。他の作品で縁者と財産を持って脱出を試みる権力者が、如何に醜く描かれたことか。
この道を教えることは、自分が死ぬこと、トロイが滅びる可能性が高いことを意味している。指揮官として言う事は出来ない、でもアンドロマケには言える。

ヘクトル本当に彼女のことを信頼しているのですね。
最後のお別れのシーン。彼女にはただ「いわれたとおりにできるな?」と繰り返す。

昨日の夜言い聞かせたようにこの国から逃げ伸びて生きていてさえいれば、彼女はなんとかやっていってくれる。そう信じているのですね。
息子のことは気がかりだけど、「ててなしご」(師匠表現…やめてよ泣くから)にさせてしまうのは気の毒だけど、彼女さえ生きていてくれればきちんと育ててくれると信じているからそれ以上のことは言わない、言わなくても伝わるのでしょうね。

〔こう言ってはなんだが、パリスは心配なんでしょうよ。もうすがれる足は無いぞ、と。名に恥じぬように生きてくれ。と言い聞かさないと。 師匠なんか「パリス(とヘレン)はいっそ生き残った場合のほうが心配だと思うよ」とまで言うし。〕

だから、それまで無表情に見ていた彼女がヘクトルが石に躓いて転倒したとたん、力なく床に座り込んでしまうのを見て、この人必死に我慢してたんだ、でももう見ていられないんだ…と思うと哀しくなるし、周りの雰囲気で死んだのが分かると壁に頭を打ち付けるのを見て切なくなる。

葬儀のシーンで涙をはらはら流しながらも、だんな様をしっかりと見る彼女を見ると泣けてきます。それは武勲を讃えているのではく、来るべき最悪の日には貴方の「いわれたとおりにします」という決意のようなものを感じるから。

この際お子様にもツベコベしますが。
「乙女達に追われる姿を(見て見たい)」という言葉。普通軍人なら「立派に剣を振るう姿」とか「立派に馬に乗れる息子を」というと思うんです。でもそんなことは言わない。ただただ息子の成長を喜ぶお父さんの言葉なんですね。

バナがインタビューでこう言ってました。
「他の登場人物と比べて、どれだけ“生きる”ことに執着しているかを表現することが難しかった。彼は単に死ぬことが怖いのではなくて、“生きたい”から死にたくない――“生きる”という行為を愛しているんだ。」

これね。「息子の成長を見ていたい」というのが一番表現しているセリフかなと思った。息子の成長というのは、自分で何とかできるものではないから。時間と息子自身でなされるものだから。そして、普通なら親のほうが先に死ぬ以上「本当に最後まで見る」事はできない。だから少しでも生きていたい、そう思うのかな。

アキレスの場合、何時死んでも一緒。自分だけだから、そして常に最善を尽くしているから。
でもヘクトルは、ほんの少しでも長く生きていたいんですね。彼だって常に最善を尽くしているし、アンドロマケさえいれば息子をちゃんと育ててくれると信じているから悔いはないけれど。

トロイの門から一人アキレスの前に出る瞬間、死は覚悟していただろうけど、彼は生きたかった。アンドロマケと息子を愛しているから。寿命が尽きるまで一緒にいたかったんですね。

そう思うと、プリアモスお父さんは「本当に最後まで見て」しまったことは哀しいことです。

 
考察一覧