映画「トロイ」考察>キャラクター>ブリセイス

■映画「トロイ」考察■>キャラクター>ブリセイス

映画「トロイ」のキャラクター考察

■ブリセイス■(ローズ・バーン

ブリセイス 彼女のガッツ、その何万分の一かをヘレンに分けてやって欲しい。

一回目鑑賞の際に初登場のときは「パリス、この上自国にも女囲ってるのか!(怒)」とほんの0.5秒勘違いしました。ごめんなさい。だってブリセイスの「パリス!」という声があんまりにも嬉しそうだったから…。
ここ、何故こんなにニコニコ走ってくるのかと思ったら、彼らがいないうちに巫女になったからなんですね。今風に言うならば、「見て見てこの制服。どこのだか分かる?○○高校に受かったのよ」って事みたい。で、この兄弟の反応。
弟「可愛いいとこ。月ごとに美しくなる」服に対する言及なし。(とりあえず顔を褒めとけ、ってか)
兄「アポロに仕えてる?」おやお兄さん、ちゃんと気が付いた。

このシーンはあんまりにも甘ったれ子供みたいだったので、この子ストーリーにどうやって絡むんだろう。というか絡むのか?って思っていました。アキレスの心境の変化を担う重要な役だけに、彼女の一言一言に反応するアキレスの表情が興味深いです。

■アガメムノンへの謁見(の前)
彼にとって、捕虜の身になってなお「男を見下して話す」ブリセイスは興味をそそる対象だったみたいですね。それを思うと、自分を曲げないブリセイスに興味を魅かれるのも納得かもしれません。アキレスも自分を曲げない人ですし。

「人殺しに神様のことなんか分からない」と言われて、腹を立てて水を弾いてみたり、「殺すしか能が無いの?」と言われて、ぐっと堪えたり。

彼にとって世界の人間を二つに分けると「殺して名声が得られる者、そうでないもの」端的に言えば「戦士か、そうでないか」だと思うのです。
ブリセイスに「神官を殺したわね」と言われて、「俺は(神官を)殺していない」と言い張るのは、神官は武器を持っていないから、殺さないポリシーだから。
…いやブリセイスからすれば、貴方の部下が殺したんだから、神殿で宝物を奪えと命令した貴方が殺したも同然だ、と言いたいんですけど。人の話聞いてないなあアキレス。というか部下がやったことなど関係がない、と思っているのか。彼は本当に個人主義。

ブリセイスは勿論戦士ではない側の人間。アキレスの生きる世界とは別の世界の人間。
「どうしてこの国へ?王妃の為?」と聞かれて彼は答えます。「他の男と一緒だ。ただしさらに欲深い」
戦士の世界で生きるものにとって、特にアキレスにとって、真の目的は不朽の名声を得ること。その為に戦うだけで、殺すことは飽くまでもそれに付随してくるおまけ的結果でしかない。

「人殺し」と言われて立腹するのは、「名声の為に戦っている」ということをはしょられて、「人殺し」と言われて痛いところを付かれた。彼は人殺しがしたくて戦士の道を選んだわけではないから、客観的事実をつきつけられて、何もいえない。
彼はそれまで別の世界の人間の評価を具体的に聞いたことが無かったのかな、と思います。

■兵士は哀れか。
「兵士なんて皆同じよ」「違う」
「自分だけは違う? 兵士は戦争だけ 平和は戸惑うだけ」「兵士は嫌いか」
「哀れよ」「兵士は君たちのために戦っている 哀れでは気の毒だ」
兵士から救ってきた陣屋での会話こんな感じでしたね。

ここの最後のセリフ、おや?と思いました。どうしてこんな殊勝な、兵隊を擁護するようなことを言うんだろう、って。パトロクロスとの会話のときはそりゃもうてんでバカにして「兵士はバカな王の命令で死ぬ」なんて言っていたのに。

ではその間に何があったのだろうと考えみると。トロイ軍とスパルタ軍の戦闘を小高い所から見ていました。

自分が実際に戦地にいたときは気が付かなかったけれど、客観的(映画上のカメラワーク=私たちが見る映像)に見たら、兵士はそれはもう虫けらのように死んでいくことに初めて気が付いたのでしょうね。
うろうろしてながら「軍を下げろ」と言っているのは、当初自分も戦いたいたくて戦術を指摘しているのかと思ったのですが、指揮官でもない個人主義の彼がそんなことを言うのも一寸おかしいかな?と。実際上陸作戦の時も、先陣を切ったから「(ここに)陣形を」と支持はするけれど、「散れ」の号令はエウドロス。

ここの表情、なんかいたたまれない顔をしていたはずですが、これは戦術的に不味い、という意味もあるけれど、両軍がアガメムノンの意固地さの為に死んでいくのが嫌なのかな。
それとも、ここで初めて序盤で「見てみたいものだ」と言っていた『自ら戦う王』を見たからでしょうか。 (正確にはヘクトルは王子ですが)

だから、ブリセイスに「彼らは(バカな王の為ではなく)君たちの為に戦って死んでいくのだから、「皆同じ」とか「哀れ」の一言で片付けるのは気の毒だ。」といったのでしょうか。

■終わりがあるものは美しい
ブリセイスに「何故戦士の道を選んだの?」と聞かれたときアキレスは「選んでない 生まれたらこうなっていた」と答えます。
自分の能力で後世に名を残すことが出来るのが戦士の道だったから戦っている。別に人殺しをしたい訳ではないし、別の方法があったなら勿論そちらを選んでいた。ということだと思うのですが、この言葉もさることながらアキレスの素直さに今までと違う印象を感じました。何か、とても心の奥から言っているような、理解してほしいと訴えているような印象を。

「何故神様に仕える道を?どうせ片思いだ」
「ゼウスや知恵の神アテナ。それでは死者の皮を敷物にするアーレスは?」
そんなに戦いや人殺しが嫌だ、と言うのなら人を殺す戦いの神様は信仰しないのか?とアキレスに言われて、それまできつかったブリセイスの目の力がふっと弱くなる所が、神様を信仰することの矛盾を付かれて答えられなくなったという感じがします。

ここでブリセイスが顔をふく為に顔にかかる髪を払ったときに、アキレスの表情が一寸変化します。というか覗き込んでいるのかな?
ここ、アキレスはブリセイスを美しいと思っているのですね。血だらけ、傷だらけの顔を。 彼が賛美するもの。それは己の意思をもって行動すること。それを全うする彼女の顔はアキレスにとってさぞ美しいものでしょう。身なりや外見でない、真に魂の中から出でるもの。をれをたたえる彼女の瞳は確かに美しいと私も思う。

だから、あそこで「神様の秘密」を教えるのでしょうね。
何時か誰かが何とかしてくれると待ち望む人生よりも、今この一瞬の最善を尽くそうと生きる貴女は美しい。人生などは何時終わりが来るか分からないものなのに、最善を尽くさずに悔いを残して生きてはいけない。

目標の無い努力が続かないように、終わりがあるから最善を尽くせる。
永遠を生きる神には確かになしえないことでしょう。

寝ているアキレスにナイフを当てた時「今死んでも、50年後でもどうせ同じだ」と答えます。一瞬一瞬を悔いなく生きているから、死ぬことが今でも、50年後でも悔いることはない、と。
ここで、ブリセイスが「また人を殺すから?」なぜ、ここでこの質問なんだろうと思いました。
「人殺しには神様のことなんかわからない」「私の為に人が死ぬことはない」などの言葉から推測するに、ブリセイスは人を殺すという行為にかなりこだわりというか批判的?な感情を持っています。

ブリセイスにとってアキレスは『戦士』=『人殺し』だから。「無知で野蛮」であったら物事が分からない哀れな生き物と思えばいい。そう考えていたはずです。ところがそうではなかった。 「ここで貴方を殺さなかったら、貴方はまた人殺しをするの?」って意味でしょう。
その問いに、アキレスは「山ほど」と答えます。
一人二人じゃなくて「山ほど」と言うのも性格が出ていますね。反省がない。
ですが、今まで「人殺し」と言う言葉に立腹していた彼がここで肯定したのは、彼女を認めている(恋に落ちている)と言うことでしょう。自分のしていることを評価しない世界(ブリセイス)を。

「君が言うように俺は『人殺し』だ。自分は変わるつもりはない、君がイヤなら殺せばいい、今死んだって恨みも悔いはない、さあ簡単だやれよ」と言っているのに続けることが出来ない。
ブリセイスにとって『人殺し』の枠を超えて、アキレスを好きになったという恋心を自覚がここの戸惑いだと思います。

ブラッド・ピットはインタビューでこう答えています。
「アキレスの弱点は実は『心』だった」と。

戦士の世界だけで生きていれば不死身だったアキレス。
ブリセイスに自分のしていることを評価しない世界を教えられ、
戦士の世界にいなかったパトロクロスが死んだことにショックを受け、
戦士の世界にいないプリアモス王の嘆きに自分の虚無感を重ねる。

人間的な感情を持ってしまったから、彼は『神のごとく不死身』ではなくなってしまった。
ブリセイスとの出会いはアキレスの弱点を射る最初の一矢だったのでしょう。

ブリセイスを演じるローズ・バーン。エリック・バナと同郷のオーストラリア人。(最近は本当にオーストラリア出身の俳優人の活躍が目覚しいですね)インタビュー記事等を読むと当初ヘレン役でオーディションを受けていたのをブラピが「ブリセイスの方がいいのではないか」と監督に薦めて決定したそうで。ブラッピー素晴らしい。また惚れ直します。日本には来ていない作品で盲目の少女を演じて高い評価を得ているとか。見て見たいな。

上記に書いた、目の力がふっと抜けるシーン。本当に感じが出ていて大好きです。夢の無いことを書いてしまえば、目が大きく茶色の瞳で白目がちって演技力の大きな助けになるな、って思いました。何処を見ているかはっきりと分かるし、瞳孔もそこそこ見えるから。

 
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