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映画「トロイ」のキャラクター考察

■ヘレン■(ダイアン・クルーガー

ヘレン 一応四大主人公の一人のはずなんですけれど、彼女はどうにも私たちの中では受けが悪いです。何故って、その彼女の性格を一言でいうならば『凡庸』だから。

この物語における彼女の悲劇性は、自分がスパルタの王妃でなかったら、パリスがトロイの王子でなかったら、美しい恋愛で終っていた。その点にあると思うのです。
両者が王族だったから、ヘレンに夫がいたらからこそ、この恋は多くの犠牲を払う戦争に発展していきます。 一平凡人であったなら、一国が滅ぶことはなかったのです。
王族と言うものは単に高い位置に座って威張っていればいいものではない、凡人とはまた違うレベルでの滅私が必要なのです。ヘレンにはそれが耐えられなかった。
金の鳥かごにおとなしくはいっていることも、年の離れた夫の元で暮らすことも。だからこそ、パリスの言葉に魅かれ、恋に落ちる訳なのですが…。

■それは本当に貴女の意思なのか?
では実際に本当に好きな人と一緒にいられるから、万事が万事幸せになれると思っていたのか。どうも彼女は最初からそうは思っていなかったようです。
トロイに来た日の夜、パリスが二人で一緒に逃げようといったとき「風に乗って大軍がやってくる」とか「メネラウスは、二人が逃げたなんて信じない。信じたとしても見せしめに街を焼く」といっているくらいですから。この逃避行でおこる戦争を予測している。(パリスはわかっていないみたいですが)

だとしたら、「死者の葬儀をみたから」といって涙を流し船へ戻るという考えは余りにも覚悟が足らなかったとしか思えません。戦争が起こって死者が出ない訳が無い。
本当は、スパルタを出た時点でこのことを予測していたのなら、「他人を不幸にしてでも、私は幸せになる」位の気持ちで兵士に冷淡でなければいけないと思う。
それが出来ないところが、彼女の王族でありながら凡庸な性格。

メネラウスにかまってもらえないから、パリスに魅了されてスパルタから逃げ出す(これですら、パリスに言われなければ彼女は一生スパルタで泣き暮らしていたことでしょう)。
民衆にうわさされたからしょげ、プリアモスに認められて喜ぶ。
兵士の葬儀を見たからといってしょげ、ヘクトルにとめられたからといってほのかな恋心を寄せる(と思うのですがこのシーン。だから一騎打ちのシーンで一人で見送ると思うのですが)…
彼女は悪い意味で感情に流されやすい。

一平民なら、それも許されたことでしょう。でも彼女は王族なのだから。世間の評価で一喜一憂している王族なんて民衆は心配で頼っていられない。

課題としてこんなのがありました。
■「なぜトロイ王家の人々はヘレンを受け入れ好意的なのか。戦争してまで受け入れようとする理由は何か。理由;パリスのため以外で。」

ヘクトルは「あの女の為に戦争はできん」と言い切っていますし、公式サイトのバナのインタビューでも「ヘクトルはヘレンを処刑しようとしていた」ともあります。 それを考えると本心から好意的に受け入れていたわけではない。

「国民のため、王政のため」が妥当な線でしょうか。

トロイ王家としてはしたくないけど、ギリシアが攻めてくる(と予測できる)以上交戦しないわけにはいかない。その場合、王家としてはヘレンを認めてないけど戦います、じゃ軍の士気にかかわるでしょう。ことトロイ王家は国民の信望が厚いのに、ここで内部派閥に分かれている場合じゃない。
「王家としては歓待していますよ」というポーズをとらないと戦争できない。
結局ヘレンを戻しても戦争だし、チワワは付いて行くとかいうし。

最初見た時「どうして帰国パレード、先頭がパリスとヘレンなんだ、ここは長男としてもヘクトルでしょう。」と思っていたけど、ここで華々しく国民に歓待を告知しておこうことだったのじゃないでしょうか。

人の上に立つ王というものは時として、過ちだったと自覚していてもあえて過ちを認めない強さも必要なのかと私は思います。だからヘクトルはアガメムノンにあえて虚勢をはっているのだと。

トロイの兄弟王子が出陣して、ヘレンが城壁で見守るシーンがありますね。当初私はヘレンは心配で座っていられないのかな、と思ったのですがヘレンは座っていないのですね。王家の観戦?の体制が整って後から入ってきたような感じがします。
駆け寄るというより、おずおずをプリアモスを伺いながら城壁からパリスを見ているということは彼女はこの場に呼ばれて来たのではない、悪意がある言い方をすれば認められていないのかも。
そうするとプリアモスの「座りなさい」も、「落ち着きなさい」ということではなく「こっちにおいで」という意味だったみたいですね。原語でも「sit.with me.」と言ってました。お父様本当に優しい。


■運命の恋
それでは別の視点から行くとして、一つの戦争起こすに足る激しい愛だったのかというと…どうも、この二人のカップルは絆が非常に薄い印象があるのですが。アキレスとブリセイス、ヘクトルとアンドロマケの方が余程愛情を強く感じる。どうしてだろう、と考えて至った結論。
それはパリスがメネラウスと戦って死にそうな局面でプリアモスとヘレンが城壁に駆け寄るシーンがありますね。

〔話はそれますが、アンドロマケは座ったままなのをどう解釈していいか疑問なんですが…夫がやばいわけじゃないから?高貴な者として感情を表に出さないのが基本ですし、元々パリス自身が招いた戦争ですから「出来れば当事者だけで解決して欲しい」と思っているのかしらね。〕

話を元に戻して。プリアモスは老練な王ですから落ち着いていても当然ですが、(ヘクトルの時だって取り乱してないし)あそこでヘレンはもっと半狂乱になってもいいと思う。「パリスが死ぬ」とほぼ覚悟していたとしてもです。

愛する人が死ぬシーンで
アンドロマケは、泣かないと決めたからなんとかこらえているって感じで、ヘクトルが転倒した時点でもう見ていられなくて床に座り込んでしまう。
ブリセイスは、そりゃもう半狂乱でパリスに「NO!」って叫ぶ。
ヘレンはというと、涙浮かべながら見ているだけ…もうすこし何らかの激情の発露は無いのか…。大事なお人形壊された時と一体どれだけの感情の違いがあるのだヘレン、と問い詰めたい。
もしくは抜け道で別れるシーンでもう一寸泣くとか。あそこも「私も一緒にいる」と言ったので一寸は王女としての自覚をもったのか?と思ったら次の言葉が「一人にしないで」で、結局この人凡庸なまま…。

ヘクトルとアキレスは死にそうになってやっぱり死んじゃうのに、パリスは死にそうになって結局死なないから、あそこの嘆きが薄くてもあっさり流していたけれど、よく考えてみたら本当にもっと泣き叫んでもいいのにね。

ブリセイスの「彼は私のいとこなの、いい人なの、戦わないで」ってとこのほうがよほど身につまされる…。

彼女が、なまじ美しく王族であったが為に生じた悲しみや寂しさは理解できますし、好きな人と一緒にいたいという気持ちそれ自体が間違っているとは思わない。ただ、それをカバーするほどの激しい恋愛を感じることが出来ないのがヘレンという役の弱いところでしょうか。凡庸な性格だから凡庸な恋愛…そんなもので国が滅ぶのもまた悲劇ということ?

 
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