国税局職員という仕事はとかく国家の犬として税金を搾り取っていく嫌な奴。普通の会社でも税務署の監査は入りますからわかる方にはこの融通の効かなさ加減は理解できると思います。
税金をきちんと支払わないと口座開設している金融機関にまでやってきて、ああだこうだと資料を請求してくるのです。調査に来られた日には一日仕事になりゃしません。
そして贈与(賄賂)と疑われるようなものはもう絶対に受け取らない。(だったらゴミも持って行けよな!こっちは捨てるのにもお金かけてるんだから!と思ったりする・苦笑)
…とこんな風に日々財務局に悩まされている身分としては監査先のパン屋でのやりとりはそりゃもう「わかる!わかるよ!!」と非常に共感を覚えました。
時に個人情報を勝手に使って電話なんかしちゃうのは本当は規約違反ですよ…だめじゃん。私たちにはこうるさく文句言うくせに。(既に現実と物語をごっちゃにしている…)
ある日突然「天からのナレーション」が聞こえるようになったハロルド。同僚への相談、精神科医の受診などの経緯を経て文学科の教授に行き着きます。名優ダスティン・ホフマンが研究熱心な反面細かいこと無頓着な味のある教授役を演じています。トイレを済ませながらドリンクを飲むくせにちゃんと手は洗うのね…飲み残しのコーヒーはサーバーに戻さないで欲しいぞ…。
流石文学部の教授だけあって物語に関しての分類分けや、進展方法、不確定要素、文章構成に関しての考察はとても勉強になりました。
「ハロルドの物語」がどのジャンルに属するかについての23の質問には思わず大笑い。映画上では7質問程度しか明かされませんでしたが是非他の質問も教えてもらいたいものです。
悲劇作家カレン・アイフルの心境の変化や葛藤はかつての自分自身の気持ちとして重なるところがいくつかあって、他人事とは思えませんでした。
物語を綴る作家(カレン)は書いている世界(ハロルド)から見ればまさしく神様のようなもので、見えない手にいざなわれて行動しているようなものです。ですが、実際はなかなか思うとおりにキャラクターが動いてくれません。また、逆に完成されつくしたキャラクターは作家がそれと思わないうちに自然としかるべき行動をとるようになると聞きます。
キャラクターは自分が生み出した子供のようなものと言う作者もいます。それでもドラマティックな死を演出しようとすることもある。そこにキャラクターに対する愛情はあるのか?無いのか?
それは所詮紙上の物語だから?これを現実のものとして生きている存在は?あるいは、私はこの物語と同じ局面に立ったときに同じ行動が取れるのか?私はこのキャラクターの何を理解しているというの?
考えすぎと笑われればそれまでですが、この映画のカレンの葛藤はこれに近いものなのではないかしら、と思うのです。
【最終的にハロルドは悲劇に対してあがいていたにも関わらず自分の物語を読んで、「死の運命」を受け入れます。理解し難い…とまでは言いませんが、英雄と称される為には死さえ厭わないとジョークにされるアメリカ人だけのことはあると思いますね。
「主人公が死ぬと理解せずに行動することに意味があるのであって、その覚悟をして行動したら意味が無い」とカレンは言います。「死と税金」とは当初どんな作品だったのか非常に気になるところですね。
蛇足ながら、「小麦粉=flour」と「花=flower」をかけたギャクは日本語にしちゃうと理解しにくいですね。ルビ振られないと理解出来ませんでした。