ピーターの「小さな不幸ぶり」は相変わらずですが、MJという支え(あるいはピーター=スパイダーマンと知りながら受け入れてくれる人物)の存在は人を強くするものだなあと感じました。
ああいった基本不幸体質は彼自身の性格からくるものなのかと思っていたら、根本的に私生活が順調になっても微妙な不幸体質は変わらなかった(苦笑)
悪い子ちゃんになったピーターは余りにも素っ頓狂な感じで、痛々しくて観てられない(でも観ちゃう・笑)。普通は髪の毛を下ろしたほうが子供っぽく見えるのですけど不思議です。演技力の賜物かしら。
■スパイダーマンの特色。
今回見返して今更ながらに気が付くことは、彼は決して敵役を死に追いやることはないといこと。結果的に自滅したり、最終的には自分を取り戻して最悪の事態を回避する為に命を落としたりするのであって、彼自身が犯罪を犯すものを死に至らしめることはない。
それは生まれながらに特殊能力を持ったり、また諸悪の根源のような対極の敵役がいたり、自分の行動にゆるぎない絶対の自信を持つ、或いは存在証明としての行動が結果善となる他のアメコミヒーローとは一線を引く点であります。
スパイダーマンは固定の敵も存在しない代わりに、スパイダーマンはヒーローとして愛される反面ピーター自身はとことん地味で、はっきりとした善悪の基準もなく、己の正当性は他者の評価に由来する。
ピーターは自分自身に自信を持つような人間ではなりませんし基本ダメっ子ちゃん。女の子にもてたい!なんて欲望を持つアメコミヒーローなんていないし…。事件や事故を解決することにそのこと自体にカタルシスを得ることはなく、マスメディアにもてはやされることによって初めて有頂天になり、逆に編集長に悪口言われると不愉快な気持ちになる。
なんて人間臭いヒーローなのでしょう。
■復讐と赦し。
この作品のテーマは迷うこともないでしょうが、「例え葛藤しても進むべき最善の道は常にあり、人はその道を選択するべきだ」と締めています。
復讐を考え始めた途端に黒い何かに蝕まれる。人というものは誰しも自分の欲望に正直でありたいものですが、力が及ばなかったり、社会倫理いう理性の壁に阻まれたりしてなかなか実行できないものです。
復讐というと、私はどうしても韓国の復讐三部作(『復讐者に憐れみを』『オールド・ボーイ』『親切なクムジャさん』)を連想してしまいます。三部作では、「復讐」を選択することを比較的肯定的に捉え、その感情はどうあっても逃れられないものだと暗示しています。それに対して、スパイダーマンは「復讐」を徹頭徹尾否定しているのが面白いなと感じました。
スパイダーマンは正義の象徴でありますから罪を憎んで人を憎まずであるのは当然でありますし、ピーターは基本小心者ですからブラックスーツの力でも借りなければ復讐なんて大きなことはできっこないのは当然なのですけれど。
ちょっと斜めな見方をしちゃいますが、理性で行動することを重んじるところはアメリカ的な理想思想だと感じました。
というのは最終戦で着地した地点にでかいアメリカ国旗が翻っているところが、なんかまるっきりアメリカの正義の主張っぽい感じがもやっとしたというか何と言うか…。そんなにアメリカを強調しなくてもいいじゃないか、と。
ハリーが死んでしまったのは本当に気の毒です。折角真の意味でピーターともスパイダーマンとも理解し得たのにね。というか執事もせめてハリーが父親がグリーンゴブリンだったと悟った時点で父親の死因を教えてやっても良かったのでは…。
誤解と嫉妬で特殊能力を持った人間同士がガチで痴話喧嘩して死ななかった方が不思議な位ですよ…。実際最初の追跡劇で死んじゃうかと思ったよ…。