む‐こ【無×辜】
《「辜」は罪の意》罪のないこと。また、その人。
しょっぱなから結論の提示。強烈な言葉。
観終わった後、後ろにいた男性が「もう電車乗れない…」と呟いていました。
流石製作した周防監督、久しぶりの作品といっても手腕は全く衰えていません。
私は裁判所と言う場所に足を踏み入れたこともありませんので明言は出来ませんが、一般的な小説や映画・ドラマよりも自分が生きている社会と地続きの場所である印象を強く受けました。
裁判と言えば基本的には神聖・神妙な場で検事と弁護士が激論を戦わせるところ…というイメージがあるのですが被告・裁判官・弁護士・検察・されには傍聴人それぞれの心理が描写されている点が面白かったです。
作品は被告の立場から描かれ、彼が無罪であることは私達の立場からははっきりと判ります。無罪であるとすれば彼に対する警察や検事の扱いは不当と言う以外になく憤りを感じます。
犯罪者というレッテルは本当に恐ろしい。管理人ですら「彼はおかしいと思った」などと完全に先入観で物事を言いますし、健全な男性なら興味を持ってしかるべきものも犯罪の動機材料となってしまいます。
彼は独身でフリーターで(おそらく)無職だったので、拘留されただけでは失うものがないからここまで頑強に無罪を訴えることが出来ましたが、妻子がいてきちんとした職業についていたらどうでしょう。彼よりも先に検挙された中年サラリーマンの様にあっさりと罪を認めて示談で済ませた方が確かにリスクは少ない。
それぞれの立場の人間が「この事件は何か」ではなく「裁判とは何か」と言う問いかけに、それぞれの意見が有るところも今まで無かったことで勉強になりました。
人が人を裁くことの難しさ、そして「裁く」ことのそれぞれの立場の捉え方を痛感させられます。
最後の独白は非常に感銘を受けました。確かに被告だけは自分が犯罪を犯したかどうかを知り、裁判官の判断が正しいかどうかを断罪することができる。
「裁判所とは何か」それは被告の罪の重さを測る場所ではなく、『とりあえず』目の前の人間が有罪か無罪かを決める場所なのだ、としています。
勿論裁判にかける以上被告は加害者・犯人でなければならないし、そのために警察も検察も慎重に審議を行っているはずです。そのために「警察」と「検察」という二つの機構があるのですし、実際に不起訴処分ということもあります。冤罪は決して起きてはならない。でも、何故起こってしまうのでしょう?人が人であって感情が有るからにはどうしても憶測が生まれてしまう。そしてその憶測を元に証拠が形成されてしまう。
しかし被告を茶化すような傍聴オタクまで描くとは思ってもみませんでした。私の妹も過去に陪審員として選出されてからは興味があるらしくちょくちょく傍聴に行っているみたいですし、また事件そのものよりもその場のやりとりが楽しいと言った理由で観劇の様に傍聴する人も実際いるようですので…。
近く日本でも裁判員制度と言うものが導入されます。世間では敬遠する人が多いようです。最も大きな理由のひとつが自分の判断で裁かれる側の人生が決まってしまうことへの懸念、だそうです。
今この時期に上映されては益々敬遠する人が増えそうな気がしますね。
話はそれますが私「逆転裁判」というゲームが好きで、公式サイトの手記なども読みましたが、矢張りロケもかねて色々な裁判を傍聴したそうです。意外に口角に泡つけて激論!などということは無くて淡々と審議が進むので拍子抜けだったけど、それじゃあゲームとして盛り上がらないので結局激論口調にしてしまった…傍聴した意味なし、などとおっしゃっていて笑わせてもらいました。