…二部作品ですから、両方観てから判断しなくてはという思いもあります。ですが、これは別に『硫黄島』じゃなくてもいいし、『対日本兵』じゃなくてもいいし…二部作品にする意味も無い。硫黄島は遠い遠い海の彼方のことで、ひたすらアメリカ本土で巻き起こるごたごたを描いた作品となっていました。
ポスターにも使用されているあの写真、どこかで見たようなポーズだと思ったら石像として設置されているのですね。そういえば『チームアメリカ☆ワールドポリス』にちょっとだけ出ていたような気がします。
■話のコンセプトに乗れない
アメリカ人って基本的にヒーローになること、祭り上げることに熱心なお国柄なのだなあと痛感しました。
私から観れば何と言うこともない戦闘中の一コマの写真に熱狂し、その六人は一体誰なのかと詮索し、未だ戦争真っ只中だというのに本土に強制帰還させ、拍手喝さい・賞賛の嵐。アメリカで大きく指示された『プライベート・ライアン』も私にとっては基本的なコンセプトの重さがさっぱり理解できず最後まで乗り切れずに終わったものですが、今回も同じような気持ちを味わいました。
帰還した兵士三人はこの写真のヒーローとして注目を浴びたことにそれぞれ悩みを持つわけですが、マスコットのように扱われたくないとか、あれは自分じゃないとか、本人は死んだのにとか。『彼らはただ、名誉とは無縁に戦い、死んでいった戦友たちとともに前線に留まりたかっただけ』かもしれない。…でも何か微妙に違う。
「今」から見ているので、あと一年もしないうちに日本に原爆を落として世界大戦は終了するのだから、前線もへったくれもないだろうと思うからなのかもしれない。
「戦友たちと一緒にいたかった」という悩みへの共感よりも、大勢の兵士が死んでいる戦地から帰還させて苦しんでいる戦傷者を無視して熱狂しているアメリカ(国民)っておかしいと思わないの?という疑問の方が私には強く浮かんで来ました。
アメリカ思想にどうしても共感できない私には理解し難いシーンやセリフばかりが延々と連ねられているだけです。
■脚本に乗れない
この映画の脚本家ポール・ハギスの名前を聞いたときから不安感はあったのです。彼が監督・脚本・原作を担当した『クラッシュ』が、本当に私とは相容れない、考えれば考えるほど不愉快になる作品だったものですから、先入観が邪魔をしていたのかもしれません。今回はちゃんと原作があるから『ミリオンダラー・ベイビー』程度には大丈夫だろうと思っていたのですが、もうすこし映画脚本用に脚色出来なかったのだろうかと、頭を抱えたくなりました。
原作が「硫黄島のヒーロー」の息子が当時のことを調べて一冊に纏め上げた代物ですから、息子視点が入っているのでしょう。しかし、父親視点になったり息子視点になったりと語りが統一されていない。しかもやたらとモノローグが多い。登場人物が自分の考えていることや、この映画の主義主張を懇切丁寧に語れば、そりゃ観客は勘違いしないで頭で理解するでしょう。
しかし、その内情を含むセリフや表情演技、カメラワーク、演出をもって心に訴えかけないで何が映画か。
そういえば『ミリオンダラー・ベイビー』もフランキーのその後に関して親切風味に匂わせた独白があったなあ…。
結局、アメリカ兵はアメリカ兵で、日本兵は日本兵で、スクリーンか衝立越しに打ち合い殺しあっているだけのしようも無い空虚な戦争映画でした。これで『硫黄島からの手紙 』を期待してもいいのか、通り一遍のお涙頂戴映画に仕上がっていないか非常に心配です。