このストーリーのコンセプトとして、ファンタジーとミステリー・サスペンスの融合であるところが面白い。
「デスノート」は現実社会に存在しないミステリーものとしては禁じ手アイテムですが、実際に使っているのは人間です。この「神の遊戯」に論理捜査がどこまで追いつくことができるのか、ある意味神を人間の領域を区別する作業のようにも感じられます。
以下ネタバレ炸裂です。
今回はちょっと真面目にデスノートの倫理観・デスノートの是非について論じてみたいと思います。
まず基本的に追うものと追われるものの立場では追われるものの方が圧倒的に弱い。何故ならば追うものは例え失敗したとしても数を頼みにいくらでも追うことが出来る半面、追われるものは一度の失敗も赦されない。
まずキラにとっての最大の誤算は、そこまでやる人間がいることに及びもつかなかったということでしょう。
アルもよもや死神を使ってノートに名前を書かせるとは思いもよらないでしょうが、キラが何らかの方法で彼自身を陥れるという予測は立っていた。タイムリミットの予測のつかないゲームよりは、確実にこちらが時計を握る手段をとったほうが確実です。
私はエルが正義の気持ちにのっとって行動していたとは到底考えてはおりません。しかし基本的に天才肌の人間としてゲームに負けることは決して赦されることではありません。実際にそんな人間がいるかどうかは別としてゲームの勝ちの為に命を投げ出すことの出来る人間です。
■正義と悪の定義
キラの最大の弱点…というよりも盲点は最後まで自分の行っている行為は正義であり、「新世界を創造するための仕方が無い犠牲」だと信じている点であります。彼の名前が月=ライト【right】=【正しい】 を暗示している点は面白いですね。
正義とは一体なんなのでしょうか。キラにとっては犯罪者のいない世界。犯罪のない平和な新世界です。
では彼にとって「正義」という言葉が正しく使われていたのはいつまでのことだったか。それは(以外に早いことに)「エル」を名乗る人物がキラを中傷するまでです。以降も基本的に犯罪者を裁いていますが、当初の目的からは逸脱しています。犯罪者を一掃するためではなく単純にエルを挑発し捜査を霍乱するための手段にすぎません。己の正義という目的のために手段を得たはずの人間がいつしか、エルとのゲームに勝利することが目的となってしまいます。
対してエルには最初から正義も悪も存在しません。ノンポリ精神だともいえるでしょう。最初からゲームのつもりでキラの捜査に加担をしています。
強いて言うのならば、法律に準じていれば正義・反していれば悪と定義している節があります。私個人の見解としては死刑囚と取引をしてエルを名乗らせ結果的にしに追いやった行為に余り批判する気持ちは持ちません。どうせ死ぬ命ならば役に立ってもらってありがとうといった感じです。
では。この一連の行為が正義でないならば、悪と言えるのか。答えは否です。
これは正義の為の戦いではなく、何が正義かを決定するための戦いです。勝者こそが正義であり、敗者は悪です。
■「新世界の王」
ライトは「新世界の王」になると言います。
果たしてそのような世界が存在するのか。正義の為の犠牲という御託を並べる人間は過去にも数多くおり、その甘言にのって酷い目にあったもの、それと意識せず残酷な行いをしたもので歴史は彩られている。
いつの時代においても、独裁者は強大なカリスマ性をもってして熱狂的に迎えられますが、やがて時代と共に排斥されていくのが常であります。
そのことに目を向けないキラが敗北するのは当然のことでしょう。
上記にも書いたように「デスノート」は死神のアイテム。しかし実際に使用しているのは人間の夜神月。この一連の出来事を神の仕業と取るか、人間の業と見るか。二通りの解釈が可能です。
勿論ライトの行動は人間で彼の自由意志に基づくことですが、デスノートという超常能力は人間を神の領域に近づける。事実神の一人のリュークは多少の釘は刺すにせよ、「面白いから」という理由でキラのするがままに任せています。ライトが最後まで自分の正義を信じることが出来たのも、また神の意思です。
■死神の存在。もしくは判断を下す存在。
キラの最大の失態は敗北を潔しとしなかった点、そして、死神を味方につけたと誤解していた点です。
「もっと面白いものをみせてやる」とリュークに周囲にいる人間をリュークに殺そうと差し向ける。なぜリュークがライトの傍にいたのか、単純に彼のやっていることが「面白いから」です。
死神を悪と定義するのならば(人助けをすると消滅する点において彼らは善とは相反するものだと考えて良いでしょう)このような他人を利用するのではなく他人(死神)に救いを求めた時点で、リュークの興味は薄れたことでしょう。ちなみに私としてもこの時点で己が正義を信じる余りに、僅かな犠牲と称して連続殺戮を差し向ける「面白い対象としての夜神月」への興味は薄れたのでした。真の意味の悪として、他人や組織は利用しても頼るようになっては悪は悪足り得ない。
リュークは優しい死神のレムとは違う、いたって普通の死神なのですから。
正義と悪の差などは実に瑣末なものです。否、無いと行ってもいいのかもしれません。それを決めるのは政治・世相・民衆ですから。
■犯罪当事者サイド(弥海砂)から見たキラ。又はミサを取り巻く「神」
彼女の存在は非常に面白いものでした。死神に愛されながら、死神の代行を務める少年を神と崇拝する少女。
彼女は死神に愛されるほどの魅力、それはおそらく憎しみと純粋さ、シンプルな感情。
キラは犯罪者を裁き続け、結果犯罪件数を減らすまでに至りますが半面このような犯罪被害者の関係者を癒す存在でもあったわけです。人間の法律で裁くことの出来なかった殺人者を、超非合法な方法で死に至らしめたキラ。彼を崇拝するのも当然の理屈です。
ここで面白いなと思ったのは、「デスノート」を所有したのにその権利を満喫するのではなく、自分の崇拝する唯一神と出会うためのツールにしか使わないところです。この盲信振りは凄い。もちろん、この辺の心情を鋭く描写すればキラの正当性は益々高まるのですが、そんなことやったらエンタメじゃないしね。
私には、彼女がインカ帝国でいけにえに供される少女のようにも思えます。神からの賜りものと人々に愛され、自身も神を崇拝し、その身を捧げる少女。ライトが結果的には誰にも憎まれること無くこの世を去ることが出来たのも、一つには彼女のようなリアルな根拠に基づいた信者がいたからこそなのかもしれません。
■キラとライト
キラはリュークに裏切られ(最初から裏切るもへったくれもないのですが)て命を落とし、ゲームは終了します。キラのいなくなった世界は犯罪はまた増加し、新世界の夢も灰塵に帰しました。
でも一年経った後も夜神家にはライトの存在は確かに色濃く残り、ミサの心にもライトを確かに愛していたという感情は残ったままです。
キラは犯罪者として裁かれましたが、ライトの存在だけは留るのです。
…とまあ、何となく意味深調にダラダラと書いてしまいましたが、スタッフサイドも現在の法令機構に異論を唱えるために作っている訳じゃ無し、純粋にシリアスエンタメなので、「本当に面白かったよーーーー」ということで。