ゆれる(ゆれる)

キャッチコピー:
あの橋を渡るまでは、兄弟でした。

ストーリー

東京で写真家として成功している猛は、忙しくも自由気ままな生活をしている。一方、地方に残り実家の商売を継いだ兄の稔は幼い頃から温.和で誠実な人柄だが、いまだに独身で父親と2人で暮らしている。母の一周忌で久しぶりに帰郷した猛は、稔と、ふたりの幼なじみの智恵子と3人で近くの渓谷に行った。
懐かしい場所ではしゃぐ稔。稔のいない所で、猛と一緒に東京へ行くと言い出す智恵子。だが、渓谷にかかった稲り橋から流れの激しい渓流へ、智恵子が落下してしまう。
その時そばにいたのは、稔ひとりだった。兄をかばうため猛が奔走する中、稔の裁判が始められる。

コメント(予告編)

大好きオダギリ・ジョーくん(…の割には余り出演作品は観てない)の新作は、私達が異様に熱狂する兄弟の確執ネタであります。こんな美男子で出来のいい弟がいたら兄はひがむかなあ、どうかだろうか。チラシや予告編の雰囲気が素晴らしくいいので観たいなあと思っています。

レビュー

お薦め度:.★★★.
ちょっと理解しがたい作品です。
まあオダギリ君も香川さんも演技がすばらしくて…。前半は私好みな細かい点が行き届いた演出・展開なのですが、途中で力尽きてしまったのだろうか、後半はいかにも邦画らしい「ニュアンスを理解して」的描写でした。

誰が悪いのだろう?と思う。好意を寄せていたのに何もしなかった稔だろうか。久しぶりに帰省したと思ったら特に愛情も感じていない智恵子と行為を行った猛だろうか。それとも理解しながら唯々諾々と従ってしまった智恵子だろうか。なんとなく負い目のある智恵子からすると稔の言動ななんとなくストーカーにも匹敵する気持ち悪く感覚だったのでしょうか。それはなんとなく理解できなくもない。
…結局誰も悪くないという結論になってしまう。

事件の真相は結局どうだったのか。何故七年もたった後に何故あれで(あのことが真相だとするのならば)真相を思い出したりしたのだろう。何故兄は何も反論しなかったのだろう。
七年はとてもとても長い時間です。到底兄弟喧嘩などというもので冤罪としてなされていい懲役期間ではない。

何故稔は上告しなかったのだろう。
私たちは弟猛の視点からこのことを見ていて、弟もなんとなく兄が智恵子との事を知っていることを感じていて、勝手に兄が意図的にやった(と「思い込んで」いた)ので負い目を感じて振り払うために東奔西走していたのだろうか。
結局は稔が言っていたことは本当で、猛の言ったことは「思い込みからの嘘」なのに。

この作品が理解しがたいのは、何というか…犯罪に関して、刑罰に関してまるっきり興味がないからかもしれません。作品タイトル「ゆれる」は、ゆれる吊り橋と「ゆれる」兄弟の絆をかけて表現していて、この事件自体はそのためのきっかけでしかないのは理解できる。

けれど結局智恵子という女性の存在は、彼らにとって何だったのだろう。
過去に猛と何かがあったことを想像に難くないけれど、猛に愛されたわけでもない。稔に行為をもたれてはいたものの、死後彼女に対する彼の言動は眉をひそめたくなる。
智恵子の母親にしてもたとえ今は再婚して別の生活があるにしても、とても淡々とした言動なのが不思議です。母親が意図的に装っているのかそうでないのか、母子の関係が冷え込んでいたのか分からないけれど何か思うところはないのか。
それでも母親が言うように「彼女は殺されるほどの女性」ではないのに。東京に憧れることがそれほど罪なことであるだろうか?(田舎の人には矢張り都会に対する無条件的な憧れがあるのでしょうか。)弟の猛も勿論そうだったろうし幸運にも成功した一人だからその気持ちを理解できないこともないはずだし。行動して成功した彼にとっては、行動しないで愚痴ばかりいう智恵子は疎ましかったということか?それでも、それは死に値するほどのことでもないでしょうに。

話を戻し、この作品の本質の兄弟の絆に関してもなんとも釈然としがたい。
この監督は兄弟の絆というものをもろいと思っているのか強いと思っているのか判断しがたいのです。私は見ている間中、「兄弟なんて所詮、他人の始まりだ」と本当に強く強く感じました。(中盤の徐々に互いの関係が裁判によってこじれていくところからではなく、それこそ裁判の始まる前から。)

私が上の子だからか、温厚な性格の人物が好きだからなのかもしれません。猛のような人物が根本的に肌に合わないからかもしれない。稔が「自分が犯罪者の弟になるのが我慢できないから奔走している」「自分を救うことによって、調子に乗っている」と猛を断じることをなんとなく理解できるのです。猛の本心かどうかは別として。

七年後、刑期を済ませて出所した稔は人知れず、知るもののいない何処かに行こうとします。それを呼び止める猛。その姿に気が付いたところで映画は終了します。
私は、このままバスに乗るか猛の元に帰るかあいまいな表現で終了するのかなと思ったのです。ですがエンディングはどうにも軽快に「家に帰ろう」と歌い上げます。…ということは兄は弟を赦して、元の鞘に戻ることを示唆しているのですか?
そんなことは可能なのか?弟は七年間何の交流もなく、兄に対して何の感慨もなく生活していたというのにただ一日前に反省したからといって、元のような関係が修復できるものなのだろうか?


……そんな簡単には修復できないわな。と私は思う。
この作品には後味の悪さを感じるのですが、兄弟の絆のもろさを描いたからではなくて、それをいとも簡単に修復できることを示唆しているからです。
絆などというものは本当に揺らぎやすいもの。血の繋がった兄弟でも、だからこそ理解できないことはある。「温厚な」兄の性格にその絆の修復をゆだねて欲しくない。そんな簡単に赦せるものか!!…と私は紛糾してしまうのです。

この監督が、なぜこの結末にしたのか本当に理解できかねます。七年の人生を棒に振るってそんな簡単なことじゃないですよ…。
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