ブロークバック・マウンテン(ぶろーくばっくまうんてん)

キャッチコピー:
はじまりは、純粋な友情の芽生えからだった――

ストーリー

ワイオミング。イニス・デル・マーとジャック・ツイストは、ブロークバック・マウンテンの農牧場に季節労働者として雇われ、運命の出逢いを果たす。ともに20歳の二人は、牧場主のジョー・アギーレから、山でキャンプをしながら羊の放牧の管理をする仕事を命じられる。寡黙なイニスと天衣無縫なジャック。二人ともハンサムで逞しく男らしい。壮大で美しいブロークバック・マウンテンの大自然の中で仕事をしているうちに、次第に意気投合する二人の間には、友情を超えた、しかし本人たちすら意識しない、深い感情が芽生えはじめる。

レビュー

お薦め度:.★★★★☆.
鑑賞した身分としてはこちらの方にアカデミー賞を取ってもらいたかったのですが…同性愛の壁は今も昔もなかなかに高いようです。
人間ドラマとして実に質の高い作品です。さすがあのアメコミ映画なのに人間ドラマにばっかり注目しすぎな『ハルク』を作ったアン・リー監督といえましょう。

これが普通の男女の関係ならどうなのでしょうか?恐らくお互いの伴侶をほったらかして高らかに「真実の愛」とやらと歌い上げ、ウエディングドレスのまま頬を赤く染めて本当に好きな相手とやらの胸に飛び込んでハッピーエンド(本当か?)になることを世間が期待するでしょう?
その期待(あらすじを知っていれば期待しないか)を実に鮮やかに裏切り、細やかな感情を表現しています。

■セックスは何のために行うのか
ただイニスの奥さんに関しては、ちょっと(いや大分)気の毒だとは思います。出稼ぎに行った婚約者がいざ戻ってきたら運命の相手と出会って帰って来たなんてね。
彼女は彼女で実に誠実だと思うし、女性なりの感性でイニスを愛していると思う。

養育費が無いから二人目は作れないという彼女のご意見はごもっともですし、、その発言に対して「だったらしない」とさっさと寝てしまうイニスにも笑ってしまった。

奥さんの発言に正直私は何て女性の心理を上手く表現しているのだろうと、苦笑してしまったのですが、一緒に観にいった師匠はイニスの発言に「まっとうなセックス(この場合子を成すため)は仕方が無いから(!)するけど、お楽しみの為はジャックとしかしないのね…」と思ったそうな。(私そこまで思い至りませんでした)

以前どこかの書物に書いてあった「避妊具をつけて行う行為など、マスターベージョンや同性愛と一体何の違いが有ろうか」という一節を思い出しました。
私はこの意見に(笑いと共に)かなり共感を覚えましたし、反論できないと思った。

一般的に物語の中で描かれる性的描写など(『酔画仙』を除く)「愛を深める」とか「愛を確認する」ために行われるものでありますから。

■世間体という魔物
それでも一般的に同性愛はダブーとされています。(特にキリスト教がそれを強く禁じていますからね)

私の見解としては、人間が高等動物だというのなら繁殖行為にだけ拘泥されず、パートナーの条件を二分の一に限定(この場合異性しか愛さない)しなくてもいいのにと思うのですよ。
後世に残すものは何も子供じゃなくても、音楽でも小説でも論文でも医学や数式、この作品でいうのならば立派な牧場だっていいじゃない、と思うのです。

その辺はもっと沢山語りたいことがありますのでまた後日。『トロイ』で言及されている「名誉を残して死んでいく」ともちょっと関連して考えたいことです。

■「ブロークバック・マウンテン」に対する一意見
これが同性同士でなければ単純な不倫話ではありますが、同性愛というリンチの対象になってしまう(ということを子供時代に見せ付けられてしまう)ほどの問題ですから。

私は愛さえあれば、障害なんて乗り越えられるなんて妄想も甚だしいと思うし、実際に乗り越えた人たちは愛だけで乗り越えたとは思わない。

この「ブロークバック・マウンテン」は実際の同性愛者の人から言わせると「普遍的過ぎる」とあまり好評ではないと雑誌に載っていました。
当初は「そんなものなのだろうか」と思いましたが、反芻するに「そうかもしれないな」と思うようにもなりました。

男性同志だから、密会はわざわざ山まで行って少年の様にキャンプ生活を楽しんだりするけれど、そうでなかったらお互い伴侶のいる不倫関係とさほど変わりが無い。ジャックは元々あまり気にしていない風ですし、イニスも婚約者がいなかったらもう少し悩みは少なかったかもしれない。

■ラストの「救い」
私達はよく映画を観ると「この作品は救われているのか否か」という話をします。
私はこの作品、悲恋ものでありながら世間体と運命の愛の中で二十年近く葛藤し続けた主人公のイニスにとって実に救いのあるラストだと思うのです。(原作はちょっと違うらしい)

ジャックを失った(しかもリンチで)ことは本当に哀しいけれど、彼と一緒に牧場を経営する誘いに迷い続けることもこれで終止符を打たれる。年に数えるほどしか会えないと言うことで喧嘩をする必要も無い。
ジャックの実家に弔問した彼はジャックの部屋で彼が確かにイニスを愛していたという証を発見し、それを持ち帰ることを許される。

かつての理想郷だったブロークバックマウンテンを望みながら彼は想い出を胸にあそこで一生を送るのでしょう。
確かにイニスは普通に家庭を持つ男性の、夫としてまた父親としての幸せは送れない。年老いた妻や子供、孫に囲まれてソファで穏やかに談笑する、などという老後は望むべくも無い。

それでも、幸いなことに数年の結婚生活を送ったイニスには、真実を知らないまでも彼を父親と慕ってくれる娘がいる。イニスが死ぬ時には、ひとひらの涙を流してくれる血を分けた存在がいる。
(本当に同性愛生活を過ごしているものには存在しない。絶対に。ここが普遍的だと揶揄される一番の原因でしょう)

決して一番の幸福では無いかもしれない、でも心の安息は約束された境遇だと私は思うのです。

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