例えて言うならば「スナッチ」系です。ストーリーの骨子もかなり個性的ですが、何よりも魅せる演出がすばらしい。
ブラッド・ピットもジュード・ロウもレオナルド・ディカプリオもこの作品を好きだと公言している、といううたい文句をあげています。私は後者二人がどんな系列の作品が好きかはしりませんが、掛け値なしにブラッド・ピッドが熱狂しそうな作品です。
そしてなるほど確かに評価されるに足りる素晴らしい脚本です。演出とシーン展開で魅せるこの映画の青写真でもある脚本を頭の中で組み立てることが出来るチャーリー・カウフマンは本当にすごい。流石私が愛するベニオフが褒める脚本家だけのことはある。(そっちにいくか)
最初にこの作品の粗筋を知ったときに「どうせ【記憶を失った男性と女性が、改めて再会して紆余曲折の末再び恋に落ちるって】話なんだろうな。ブラッピーが褒めるんだから演出が優れているんだろう」と思っていました。
大方は合っていましたね。【元々恋愛関係にあった二人なら記憶を喪失したところで趣味や思考で合うところがあるでしょうから、再び恋愛に落ちること】は想像に安いので、後はどう料理してくれるかが楽しみでした。
■失恋をした男性が彼女の記憶を消す…というお話ですが。中心に描かれるのは「記憶」「思い出」の表現、それにまつわるドタバタしたコメディ(だってジム・キャリーだし)、一番入りやすく、消したいと願うような「思い出」として過去の恋愛が選ばれた程度に考えてください。恋愛の一部の記憶ではなく、記憶の一部としての恋愛の「思い出」です。
今までも人の記憶や意識の表現は映画作品で数多くされてきました。「マトリックス」はデジタル化された深層意識ですし「ザ・セル」は抽象的表現が美しく非常に魅了されました。
この作品はこの「記憶」のイメージ表現がとてもリアルでした。記憶や意識、夢の中って確かにこんな感じです。注視しているもの以外がぼんやりとしか見えなかったり、書店の棚を曲がったからいきなり自宅の部屋だったり。
記憶が喪失する時の表現も素晴らしかった、記憶が曖昧なところから消えていくのです。書店で気が付くと展示してある書物が全て白紙になることろか、確かにこんな感じ!ととても納得でした。(因みにこれが日本だとさらに全部同じサイズ・厚さの本になるのだ…そうじゃないんだって)
演技では特に子供時代の記憶がおかしくてジム・キャリー炸裂でした。彼を起用したのは実に正解です。大体最初から電車の扉に挟まれるしね。
子供相手に息巻いて、手を捻られてベソかいたり。大人の意識を持っていたはずなのにうっかりすると子供の思考になってお菓子をねだったりして。
■ジョエルの記憶の中で一緒に逃げ回る彼女は本当のクレメンタインではない。「現実の彼女」は進んで記憶を喪失してしまった(ジョエルもそのことを知っている)。でも「記憶の彼女」は彼を励ましてくれるし、サポートもしてくれる。
最後にジョエルの中のクレメンタインは「【せめて思い出の中では挨拶をして別れたことにしましょう】」と言います。 私はこの言葉が「思い出」の本質だなと思いました。記憶というものは時に忘れがたく、時に(自分の都合のいいように)変換される。
思い出ってやっぱり大切なんだと思う。記憶がなければ「なかったこと」になってしまう。無形だけど残らないものではない。
ラストは恋愛は科学の力に勝る、的な【愛の力で記憶が甦るのではなく、失ったという事実だけを告げる(しかも過去の美しい思い出ではなく、悪態を聞かせて!)】という点はとても好印象でした。
【二人の恋人の記憶は無くなってしまい甦ることがないけれど、もう一度ゼロ(どっちかというとマイナスかも)からやり直すのですね】。
私はこの脚本・演出は非常に楽しめました。
ただ…私として乗り切れなかったのは、ロマンスを解さない上にクレメンタインの性格が余りにも破天荒過ぎて、ジョエルの「彼女が好き」という気持ちにちっとも共感できなかったこと。
私、この手の性格って苦手…。ごめん。