アレキサンダー(あれきさんだー)

キャッチコピー:
2300年の時を経て、今明かされる史上最大のミステリー

ストーリー

マケドニアのアレキサンダー大王が32歳の若さで亡くなってから、40年の歳月が流れた。地中海を一望できるアレキサンドリア図書館のテラスで、エジプト王プトレマイオスが、自伝の口述を始めている。その中で、若き日に仕えたアレキサンダーの数奇な生涯を、詳らかに語るつもりだった。王との栄光の日々を思い出し、年老いた瞳に輝きを取り戻すプトレマイオス。果たして彼は、胸に秘め続けたあの真相を告白するつもりなのか?

コメント(予告編)

歴史ものは大好きですから期待大です。…がしかしどんなに好きでも外すことに最近気が付きました。そこそこ期待して観に行きましょう。
トレイラーを見た限り鎧や衣装のデザインも素晴らしいし迫力ある映像。キャストもそうそうたるメンバーです。アンソニーホプキンズ、コリンファレル食わなきゃいいけど…。

レビュー

お薦め度:★★★
一言で言うなら、「熱狂的なファンが作った『理解してもらおう』という気持ちを放棄した作品」もしくは、「作品のふりをしたドキュメンタリー」なので…すいません監督。何がしたいのかまったく理解できません。
ここ一年で映画を観るスキルはあがったと思っていましたが、この作品が求める理解力には遠く及ばないようです。

■コリン・ファレル頑張っています。熱演です。色々やってくれて…でもカットされたらしい…(涙)。でも折角だからひとりで裸馬乗れるようにしようね。いや、プロの騎手でも乗れないから当然なんですけど。「オペラ座の怪人」のラウルも他所様の墓石に足かけて乗っていたし。でも「トロイ」でアキレスが乗っていたので。最初見たときは本当に仰天した。
アンジョリーナ・ジョリー、さらに大熱演です。苛烈な性格が良く出ている演技に吃驚いたしました。

■どうやら従来の歴史映画とは違うことをしてみようと言う心意気は何となく感じるのですが、それがダメ方向に行ってしまっているようです。
そもそも32年というアレキサンダーの人生を二時間にまとめようとするのは実に難しいことだと思います。それを観客に理解させる為には、実に慎重に脚本をまとめなくてはいけません。思い切ってばっさりと捨てるところも必要です。

しかしこの作品の脚本は全部やってしまっています。赤子から死ぬまで。どれも捨てることが出来ず抱え込んだままです。脚本兼監督のオリバーストーンはアレキサンダーが大好きだそうで、その知識は膨大なものだったに違いありません。企画は相当な年月を費やしたそうです。
だからこの作品は実に頭でっかちです。観客は誰しもアレキサンダーの熱狂的なファンで、予備知識は作中で説明する必要ないとでも言いたげな切り口で話が進展していきます。

もちろんそういう人もいることでしょう。
しかしそうではない人もそれ以上にいるのです。

冒頭で一寸驚いたのは、歴史映画なのに歴史背景を説明する文章や地図が何も出なかったことです。今から描写される時代が何時、何処の国で、誰が王で、どのような戦が起こっているのか。これを説明的にならず・だれることなく描写するのは大変難しいことです。
しかし、この作品は説明文章をつけず死の40年後にプトレマイオスが語るという切り口で始まります。ただ一方的に語るだけで、こちらの疑問をさしはさむ余地がありません。案の定、超説明的で、だれます。聞いてもさっぱり理解出来ません。遠征している地理や基本的な歴史的背景を理解していない私にはピンときませんでした。

重要な序盤からしてこれですから、作品全編に渡って説明セリフの羅列です。
おおよそどの作品であってもその作品が訴えたいことは、登場人物(往々にして主人公を教え諭す人物)の口を借りて出てきてしまうものです。
これの端的なのは「casshern」や「イノセンス」。逆にそうではないのに監督の意図が聞こえてくるのは「トロイ」「モンスター」「砂と霧の家」でしょうか。

私は「説明セリフ」を全否定するつもりはありません。そのセリフがその作中で表現されていることの補填であるならば。しかし、この映画は演技や映像や音楽で表現されている感じが殆どしません。要所要所で「ここは彼の英雄要素を汲み取ってね」とか「彼の悲しみを汲み取ってね」というサインは読めますが、上手くまとまっていないのか、語ることを放棄しているのかそれ以上の監督の意図が聞こえません。

■さて…この作品がラジー賞の憂き目に会っている一番大きな理由は同性愛を扱っていることだと思います。サイトを見たときから妙な匂いを感じたのですが、本当に当たるとは思いませんで…(苦笑)ああオタクって嫌ですわ。

私は同性愛に差別意識を持っているつもりはありません。「モンスター」の関係も嫌悪感は感じませんし、一寸行き過ぎた感のある友情物だって大好きです。

〔補足ですが、アレキサンダーの母は自分を「アキレスの末裔」だと固く信じ込んでいるので「イリアス」についての言及が出てきます、特にアキレスとパトロクロス。「トロイ」を見た後だとここの言及は相当に笑え…参考になります〕

しかしこの作品は観ていて少々拒否反応が出ました。

私は作中でアリストテレスが言う「肉に溺れるような関係は駄目だが、精神的な繋がりを持ってお互いを高めあうものなら素晴らしいことだ」という意見には賛成です。だからそのように描いてくれることを期待しました。
なのにアレキサンダーが興味を占めす男性があからさまに「美男子」的外見・服装だからです。

当時、同性愛と言うのは現在のようにタブー視されていなかったようで「英雄色を好む」的な描写もあります。なのにアレキサンダーの逢瀬は世間に知られることを明らかに避け、「禁断の愛」のように描かれています。

監督が同性愛をどのように捉えているかがさっぱり判らない。アレキサンダーの愛を否定しているのか肯定しているのかが読めない。

■アレキサンダーが求めていたのは「破壊」なのか「愛」なのか「友情」なのか「栄光」なのか…どれも、なのかもしれません。だとしたら彼の内面表現が整理整頓されていないので何が何だかさっぱりわかりません。

単純にアレキサンダーの人生を描いただけなのかもしれません。どちらかというとそう考えた方がすっきりします。「誰も知らない」の時のようにセリフに一貫性がないから。
アレキサンダーの熱狂的なファンが、英雄の彼も普通の人間で、きっとこんな感じだったのでは?と言いたいのかもしれません。だとすると彼の内面表現が強烈すぎます。普通の人間は心情をそこまで説明的に吐露したりしません。

どちらにしても中途半端です。
この作品は観客に「理解してもらおう」という気持ちを放棄しています。「パンダがメインの注釈丁寧な動物園」が普通の映画なら、この作品は「かこいすらない自然保護区」。ライオン好きな人は追跡すればいいし、シマウマ観たい人はそれでもいい。全部の動物を全部見るのは不可能なのでそれを期待した人は「何かの『足』しか見ることができなかった」とカンカンです。

「好きなところを取って貴方のアレキサンダー像を作ってください」という作品で「血と骨」と見たときのような釈然としない感じを味わいました。

私は映画は創造物だと思っているので「私の解釈はこうです。貴方はどうですか?」という作品は好きだけど「作りました。解釈は貴方の手にゆだねます」な話はどうにもイマイチですね。

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