25時(にじゅうごじ)

キャッチコピー:
俺に残された 最後の自由な24時間

ストーリー

愛犬・ドイルと共にカール・シュルツ公園のベンチに座るモンティ。彼はドラッグの密売で逮捕され、明日から7年間刑務所に入らなければならない。白人のハンサムな男が刑務所に入ったらどうなるか。その絶望的な未来はもう目前まで迫っている。モンティはその最後の夜を仲のいい友人たちと過ごそうとする。いつもの店で証券ディーラーのフランクと教師のヤコブ、そして恋人のナチュレルと待ち合わせするが、モンティの心は弾まない。しかしそれは収監を目前にしたからではなく、ドラッグの密売を密告したのがナチュレルではないかという疑いがあるからだった……。

コメント(予告編)

題材が変わっていたので興味は持っていました。しかし、原作・脚本が「トロイ」の脚本家デヴィット・ベニオフと聞いて俄然行く気に。

レビュー

お薦め度:★★★★★
「25時って…こういう意味か…」と愕然としました。

チラシや情報誌のコラムを読んで、なかなか変わった切り口の作品だと関心はあったものの、いわゆる単館系の作品ですので機会が無く流していたのですが「トロイ」の脚本家デイヴィッド・ベニオフ原作そして脚本も手がけたということで、東京に行った上京した際に滑り込みで鑑賞しにいきました。

モンティことエドワード・ノートンは実に適役。ハンサムな白人男性というイメージにもぴったりですし、演技も上手い。【鏡のシーン】は圧巻。
製作権をトビー・マグワイアが取得したというのを聞いて本人がやればいいのに、と思ったのですが、画面上に出なくて確かに正解。トビーのイメージにあうキャラクターがいませんから。

基本的には非常に淡々とした作りです。
主人公モンティが刑務所に収監される前日。その24時間を描いた作品…なのですが…。映画作品の中で刑務所に入るキャラクターを描いてあることが多々あります。3年なり5年なり10年なり。しかし大抵の場合、懲役○年の判決が出されました、そして○年後…といたって普通に出所してきますよね。私は刑務所に行ったことが無いから、別に何の疑問も持ったことがありませんでした。

しかし、この作品を観てからは他作品でそんなシーンを観ると違和感を覚えずにはいられない。そんな単純なものじゃない、数年間友人や愛するものと離れてまた同じ様に笑って再会なんて出来ない。刑務所に入るということはその数年間を無駄にするだけのことではなく、それからの人生もいままでの人生も全て無駄にしまう恐ろしい所なのだと。
それを、一切刑務所を映像的に見せることなく描いています。想像力に訴えかけてくるというか…とにかくほぼセリフだけでそれを解らせる。この作品程「刑務所嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ…」と思ったことはないです。

本編とは余り関係が無いシーンなのでここは【部分】を読んでいただいても構いませんが、私の印象に強く残ったのはモンティの友人の教師がひそかに思いを寄せている女子学生が、何故私の作文の評価が悪いのかと彼に詰め寄るセリフ。

「ジョイコブは、お婆ちゃんの葬式の作文を書いてaをもらっている。【彼がお婆ちゃんの葬式のとき何処にいたか知ってる?バーで女の子のお尻を触っていたのよ!?そんな彼の作文がaなんて納得がいかない。aが取れるから、みんなお婆ちゃんのお葬式のことばかり作文に書く。でも良く考えて。お婆ちゃんは誰でも死ぬのよ!?】」

鑑賞当時は「ああ、この子こんな見た目は派手なのに物事をきちんと理解している子なんだな、それを表現しているんだな」と思ったんですが…その後ツベコベ考えていて思い当たった。これがこの原作者で脚本家のポリシーなんだ、と。

「誰かが死ぬ」とか「別れる」とか感傷的な事を皆が書くのは、それだけで評価が高いからだ。そんな結論ではなく、その結末に行くまでの描き方を評価すべきだ。そういいたいのかな、って。

そしてこの作品はまったくそのとおり。
刑務所に入るのが、友人恋人と別れること自体が悲しいのではなく、それまでの制限時間の間のモンティの煮えたぎるような焦燥感・絶望感・猜疑心。そしてそれを見送る恋人や友人の自責の念・いたわりを丁寧に描いています。

同じ感情から発するまったく違う行動を描くことで、人間性の深さを描いているので、ほんの少しのシーンでキャラクターの性格がよく解ります。
友人が「【刑務所に7年も入ったら俺たちはもういままでの友人じゃなくなってしまう】」といってしまうのも心からの真実なら、「【出所してきたら連絡をくれ、一緒に会社を起こそう】」というのもまた心からの真実。
「【犯罪を犯したあいつが悪い】」ということも確かだし、「【どうしてやつが犯罪を犯していると薄々気が付きながら止めなかったのか】」という言葉も確か。
彼のお願いを聞いて【顔を滅茶苦茶に殴る】のも友情だし、それを【必死に止める】のも友情。

ラストの「25時」は本当に衝撃でした。25時ってそういう意味なの?
父親が語る、選択するかもしれない、しないかもしれない幻の時間。
刑務所に入ることを拒んでどこかに逃亡し、目立たぬように真面目に働き、いつか恋人を呼び結婚をし、子を産み、孫が生まれ、年老いたときに自分の人生を語ってやれ。お前たちは本当はこの世に居なかったのかもしれないのだよ】、と。
逃亡すれば生まれる命も、刑務所に入ればこの世に存在しなくなる。】だから父親は息子に逃亡を薦める…。
肉親が逃亡を薦めるという話は数有れど、「親は子供が可愛いから」という茫漠とした理由ではなく、こんなに具体的に提示してきた作品を私は知らない。この「幻の時間」を【夢オチのように見せ付けることで、幸せそうに笑う子供や孫が霧散して】いっそう切ない気持ちにさせます。

最終的にモンティがどちらの選択を選ぶのかはわからないまま作品は終ります。
それは、観客に任せるということなのでしょうね。私は…迷うなあ。

構成としてはサブキャラクターでも実にしっかり人間性を描いていて、その人間性がストーリーを展開しています。主人公だけ追っかけていると何だかよく解らない話という印象をうけるかもしれません。
サブキャラクターは主人公を引き立てるだけの駒にあらず。主人公はただカメラが彼をメインに追っているだけで、サブキャラでもカメラが追えば十分なお話になるほどきちんと人間になっています。紛れも無く「単館系(観客に媚びない、主義主張のはっきりとした作品)の良作」です。

しかし私、本当にディビット・ベニオフに惚れそうです。なんて私好みの話、脚本を書くのこの人。
何年か振りに書店で文庫本も購入しました。(いつもは図書館で済ませる)読了後にまた原作についても感想を述べたいと思います。

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