casshern(きゃしゃーん)

キャッチコピー:
この地に生まれた、愛する人々に捧ぐ。

ストーリー

50年もの長き大戦の果てに、世界の大半を支配下とした大亜細亜連邦共和国。だが勝利がもたらしたのは、戦乱の後遺症に苦しむ人々と荒廃した大地だった。反乱勢力とのゲリラ戦が活発化する中、軍部は細胞学の権威・東教授が提唱する「新造細胞」理論に注目する。

コメント(予告編)

撮影までやるなんて紀里谷和明って誰?と思ったら宇多田ヒカルのミュージックビデオの演出した映像作家さん(つうか旦那さん)なんですね。
予告編を見る限り日本には珍しく色調などにかなりこだわりがある感じで流石映像作家。
後は、ストーリーがどうなるかですが…。

レビュー

お薦め度:★★★★★
「そんなこと言われたら、私これからどうしたらいいの?」って正直思いました。

予告を見たときは具体的なストーリーも判らず「casshern」ってあの「キャシャーン」??と驚きました。古のヒーローリバイバルブームもここまで来たかと。昔そんなアニメがあったということと、犬と白鳥のロボットが出てきた位の知識しかありませんが。

■映像面 邦画という立場でここまで極端な作品は珍しいと思います。私にとっての邦画の駄目な点のひとつはビジュアルへの無頓着さにあります。どうして何処を撮っても同じような色味なんだろう…。この映画は赤なら赤。青なら青。オレンジはオレンジと非常にわかりやすくイメージ色が強調されています。淡い色使いが好きので、正直好きではない部類ですがそれでも無頓着よりは好き。あんまり白にエフェクトかけるのはやめてほしかったですけれど。

cgも自然さには欠けていますが、センスが良いですし、不自然でもいい!力技で押せ!!といった印象で好感持てました。いいよそのままいっちゃって!某格闘ゲームが元のoavが、非常に丁寧に作られていて。本当に綺麗なのだけど余りにも格闘シーンが丁重に描かれ過ぎでゲームでの魅力のスピーディさが無くなってしまい、少々がっかりした記憶があるので。一寸位変でも勢いを大事にした方がいいときもあります。

キャラクターは予告編当時「二階堂(要潤のこと)ばけたーーーー!!」と最初思いました。すいません彼って私たちの中ではドラマ「動物のお医者さん」の二階堂のイメージしかない…。
ブラドは予告編を見た時、彼が主人公で「デビル・メイ・クライ」(というアクションゲーム)かと思ってしまいました。ゲーム知っている人なら絶対思いますって!!しかも唐沢さんとは判らなくて気が付いた時は驚きました。
ヒロインはいかにも可憐なヒロインらしくて可愛かったです。

■ストーリー・メッセージについて
さて、ストーリーは日本人らしく一切のユーモアもなくひたすら暗い話です。可哀想な人は本当に可哀想で、憎むべき人も実は可哀想で、嫌なやつだと思った人も実は可哀想で…敵を倒しても何の解決も得られず、どのような選択をしたとしても後悔せずにはいられない。

私はね、自分が生きていることに意味があると思いたい。自分のしていることで幸せになる人はいなくとも、最悪無害な人間でいたいと思う。それは実は叶わない願いであることを、見せ付けられた思いです。 人間の業は本当に深い。

鉄也(キャシャーン)が自ら志願して行った戦争で、ある地域に住む人を殺すように命令されて実行した後、罪の意識に苛まれるシーンがあります。その後の、【ブラドが殺した女性の夫であり、殺害の現場にいた】と言う事実を知った時の懺悔の慟哭はまったく違っていました。前者は殺人を犯したことに対する後悔の念であって、決して殺してしまった人に対しての贖罪ではない。殺人を犯さなくてはいけない状況に陥れられたことを悔やみ、自分は決して加害者ではない、自分は悪くないと思ったに違いない。

己の信じる正義を貫き、相手が利己的で傲慢な人物であれば何ら悔やむことなく倒すことができただろうに、敵を作った原因が過去の自分の行動にあったという事実。後悔したことによって、その罪は贖われただろうと、思っていたことが実は新たな戦争を生んでいたという事実。自分は戦争の被害者だと思っていたのに加害者でもあったという事実。これこそ人間の原罪…。

終幕近くでのキャシャーンと東博士との対決で、命は限られているからこそ尊く、蘇えらせることは罪深いことだからしてはいけないと攻めるくだりがありますが、ここは本当にジレンマに陥りました。 昔、家で飼っていた犬が交通事故で死んだ時、自分と何の関係もないところで、何の関係も無い誰かが死んで犬が蘇るのなら、とどれだけ本気で思ったことか。その考えを捨てたのは倫理に反するとか、無くなるから命は尊いなんて理屈ではなくて単にそんなことは不可能だから。もし可能ならきっと足掻いていたと思う。

愛する人を奪われた憎しみは消えることはないし、復讐することで又新たな憎しみを生み…。憎しみを無くすためには自らを殺すしかない。戦争は終わることは無い、誰かが誰かを愛している以上。「ビック・フィッシュ」を観たときにも感じた「ただ一人の女性を愛すると言うことはそれ以外の女性の思いを拒否することなのだ」ということ。片方が幸せになることによって他方で不幸せが起きるということ…。

死にオチって正直安直ですけど…不幸な人がこれ以上不幸にならないのなら。それでその人の不幸が終わるならいっそ死んでくれた方】がほっとする(「パッション」のように)

でもこの現実を擬似体験した私は一体どうすればいいの? 物語を「作り事だから」と笑って済ますこともできるけど、それはブラウン管の向こうの現実に対して「他人のことだから、自分には関係のないことだから」と笑って済ませていることを同義のような気がします。

反戦映画は沢山あるけれど、いつでも加害者と被害者はハッキリと別れ加害者は完全なる悪で、自分が被害者になることはあれ、加害者になる可能性を突きつけられるとは思っても見なかった。 こんなことを言うのは不遜ですが、アメリカのテロ事件が起き、イラク戦争が勃発し、戦争は終ったと表明されてもなお、アメリカ兵の現地人虐待やテロ行為がなくならないことを思い、このタイミングで上映されたこの作品を思い出すと胸の痛くなります。

展開云々を言うのなら、物語はこうでなくてはという私の型(まず基本の状況があってそこから事件などがおきて展開する)からは外れているのでここまでは状況説明、ここからはストーリー展開という区切りが無いので意識を切り替えるのがちょっと辛かったです。そしてひたすら不幸の連続で、心の休まる時がない。
不幸ボタンを止め処も無く押すのは止してくれ…バラシンが【実は老医師の息子だった】ってのは本当にまいった…。【素朴な村人だった頃の幸せカットを入れる】のも止してくれ泣くから…。アクボーンを【介抱したのがルナという】のも止してくれ泣くから…。

子供の投石】はいっそ無い方がよかったな。 【最下層の人間はこうでもしないと生きていけな】いという叫びがちょっと薄っぺらかった。でもここも重たかったら本当にどうしようもないしな…。

原作付きと言うのは本当に難しくて、監督が原作の上っ面しか理解していないと思うものと、ストーリー自体は違っていても本当に原作が伝えたいメッセージを判っていて上手く表現したものを二通りに分かれるので。たいていが前者なんですよね…トホホ。 元ネタを知らないのでけれど、おそらくこの監督が本当に元ネタが好きで、何らかのメッセージを汲み取り、それを何とか表現しようとご苦労したという意識が見えました。 昔のアニメって結構救われない話多かったですしね。

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