イノセンス(いのせんす)

キャッチコピー:
イノセンス それは、いのち。

ストーリー

2032年、日本。人と機械の境界線が限りなく曖昧になった近未来。
少女型愛玩用ロボットが、突如暴走所有者を殺害するという事件が多発、公安九課のバトーとトグサは事件の解明に乗り出す…。

コメント(予告編)

行くかって?そんな野暮なこと聞かないで下さい。行くよ、行く行く。
しかし今回押井監督作品にしては異常な程に告知やらキャンペーンをしているのが
正直いって居心地が悪いです。
著名な海外監督がオマージュを受けているから?
それとも、これの前作が全米一位をとったから?
もしくは、プロデューサーが違うから?

この監督に関しては少々アングラな匂いを感じるのがいいんだけどな…
海外ならばティム・バートンかな。まあどちらにしても行く気は満々。
監督の三種の神器はやっぱり出るのでしょうか。犬と鳥はでてくるみたいですが。

レビュー

お薦め度:★★★★★★
…あらすじは内容なのですが。この作品に関してはストーリー自体は割とどうでもいいです。(おいおい)

押井監督作品は大好きなのに、いざ感想を述べようとするとこんなに途方にくれるとは思いませんでした。
予告編レビューでも書きましたが今回はジブリが絡んでいるせいなのか未だかつて無いほど事前に広告がばんばん流れて、「この人そんなに一般受けするような作品作るとは思えいないんだけど」と思っていました。
プロデューサーのコメント曰く
「今回は普通の人がみても分かりやすい、特に女性に観ていただきたい作品です」 との事なので一体どれ位一般の人のレベルに合わせたのかと言う点が内心がっかり、かつ興味津々だったのですが、観てみたらこれが。

「うへぇ、監督全然変わってない、というかいつもよりも押井節全開じゃん。こりゃ確かに今までの押井監督作品の集大成だわ」というのが感想。

もっと初見の人にもとっつきやすい作品を作ってあげてください…。
もちろん信徒(私)は大喜びな作品でしたけど、世界は偉人のレベルで生きている訳じゃないんです。(笑)

もちろん事件の謎は解明して終了です。台詞の七割は謎かけのような難解な言葉です。
初回、必死になって付いていこうと思いましたが半分くらいで頭がショートしました(苦笑)後半は頭に台詞は入ってくるものの、何とか消化しても頭に染み込む前に右から左に流れていってしまいました。でもそこがこの監督の良さだと私は思っていますので…。

この作品の本質は事件を解決することではなく、人間が機械の体(義体)の体をもち、肉体を捨て去った時代に
「人とは何か?人とそうでないものとの違いは何か?」
「人の意識とは何か?」
「人は何故自らの体に似せた物(人形)を作ろうとするのか?」
という疑問を投げかけています。

この監督が何故難解と呼ばれるか。
難しい台詞回しはもちろんですが、それはおそらく「自らの意見を述べない」という点にあると思います。おおよそ呼ばれる作品は何らかの作り手のメッセージを持っています。それは例えば、ある家族の崩壊するまでの映画ならば、家族関係が崩壊することは負のイメージであることが多く、 「こうなってしまうことは悲劇的なことだ」という作り手のメッセージがあります。しかしこの押井監督にはそのメッセージが希薄です。近未来的なネットの世界と猥雑な裏通りが同居し、有機的な少女人形の中身は砂糖菓子やスミレではなく金属とチューブ。そのどちらも美しく、醜い。
膨大な情報社会に対応するため肉体を捨て機械の体を得たことについて、否定もすれば肯定もする。
悲劇にしろ、喜劇にしろどちらかに偏った思想に共感を得たり反発することは簡単ですが、そのどちらでもないものに対して何らかの偏りを見せた意見を述べることはとても難しい。かくして意見のいえない人はこういうしかないのです。
「難解だ、理解しがたい」

押井語りになってしまった…。
かくいう私もこれらの疑問に対して具体的な答えを返すことは難しいです。「シーザーを理解する為にはシーザーになる必要は無い」とは言いますが…押井を理解するには、押井になるしかないのじゃなかろうか…つか「押井論」を読むか…。
この監督の作品の魅力は、麻薬のような嗜好品であって、受け入れることは難しいですがいったん良さがわかってしまうと中毒になるような良さです。
理解するのではなく、心で感じるのでもなく、脳で感じるという感じ。

まあ語りはこの辺にしておいて。
形骸的な面でのコメントを言わせていただければ、cgを駆使したとても美しい画面です。
cg故の現実離れした感覚も「情報」という形で視覚を処理していると考えるならば特に違和感も有りません。(メカのみのシーンはやっぱりゲームっぽいなあと思えてしまいましたけど)opの「人形」を作る工程のシーン、それから特に祭礼のシーンは川井憲次の音楽とあいまって鳥肌が立つほど禍々しく美しく、しかも滑稽さもあります。

今回この映画に先駆けて行われた展示会が「球体関節人形展」で一体なんでだ?と思ったらこの少女人形が球体関節人形なんですね。機械的な義体とは異なり、有機的な人形は外見のみは人間に近づいたがゆえにさらに人よりも遠く、魂の入らない空虚さがあります。
そういえば、昔人形を登場人物(?)として出した漫画が途中で頓挫しななあ…明らかに作家が途中で放棄したような終わり方でした。「人形を描いても人形にならない」とか何とか…。それは当然のことで人間を「描いた」時点で既にそれ自体が「人形」なのです。「人間により近いものが人形」だとするのならば「人形として描いた人形」は既に「人形」からは遠いんですよね。
元々私は人形を鑑賞するのは好きな反面、恐怖を覚えることも多いのですがこの映画をみたらさらにトラウマになりそうです…。

続編ということを余り意識せずに見ることが出来ましたが、矢張りキーパーソン「素子」に対しての説明は初見の人にとっては不足気味な感はありました。この登場で果たして「これが素子なんだ。素子とはこういう役割のキャラなんだ」とすんなり分かったかしら…?(多分わからない)

「今回は今までとは違い親近感を感じるキャラクターです」とのことですが、確かに前作よりは人間味のある生活をし、感情を表にだしている感はあります。犬を飼っていることや「素子」に寄せる感情によって、観客に共感を得ることができるというのなら、ですけどね。
この「感情」あえて「恋愛」とは呼びたくないです。無理矢理言葉にするのならバトーが素子のことを「守護天使」「精霊は現れたまえり」と称しているので「魂の寄る辺」もしくは「信仰」に近いのかな。肉体としてそばにいなくても、その存在を感じることが出来る存在。そんな風に私は取れました。

この映画、恐ろしいほどの情報量が詰め込まれているので、考えれば考えるほどいろいろな結論に行き着きますねえ。大好きです。こういう作品。

個人的フラグポイントを挙げさせていただくならば
格闘シーンで相手を挑発するアクション(手のひらを上に向けてクイクイッするやつ)が出たときはちょっと笑ってしまった。最近どの映画を観ても出てくるのでお約束なんですか?好きですが。
裸体の人形の体を借りて素子が現れた時、ライフジャケットをそっとかけるところ】がバトーの紳士ポイントアップでときめいてしまった(苦笑)
決して【他の人形と区別する為】とか言ってはならんのです!!

セリフは本当にかっこいいのが多かったです。個人的に大好きなのは、
「【鳥の血に哀しめど、魚の血に哀しまず。声あるものは幸いなり】」

初回試写会で観ましたが、一般紙上での募集だったこともあり、おそらく前作を観たことが 無い(監督の特色を知らない)ような観客層だったのでこれは一体どんな感想を言うのかと 上映後耳をダンボにしていましたが、おおかたは「難しい」「何言っているのが分からない」 「こんなこと何時も考えているの?」(この意見が一番笑った)という感じでした。 やっぱりそうか…。

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